まんどりるンパッパ

嘘をつかなくても生きられる生活を目指して。

「クズ」で何が悪い

自分で今こうして文章化していることを冷静に客観視してみると悲しくなるんだけど、自分、家族のこと、あんまり好きじゃない。

仲良くはしたいけど、好きではない。嫌いとまでは断言しない。

家族のLINEグループで何かしらの話題が出てもどう反応すればよいのかいつの間にか分からなくなった。個人チャットでメッセージが来たら無視するわけにもいかないから一旦保留して思い出したときにクッソ適当に返信する。今は一人暮らしをしていて実家にすぐ帰ることができる距離にいるんだけれども、正月とか何かしらのイベントがないと帰りたくない、行ったとしても早く出ていきたい。この間家族で京都に行く用事があり、ついでにちょっとした観光について行かされたんだけど、さっさと帰りたかった。なんなら「死にたい」って毎分思ってた。
などということなので、結局そういうことだ。正直もううわべだけの会話しかしてない。腹を割った話をする関係性ではない。ポジショントークのぶつけ合いに行き着き、埒が開かない状況になるということがそれをするまでもなく分かる。

兄弟がいる。兄弟は両親が望むような「正解」の生き方をしている。それは前述したような日頃のLINEだとか前述したようなイベントの折に集合した際のやり取りなどをみていてありありと伝わってくる。見せつけられてくる。

いつから好きじゃなくなったのかというのはこれまでを遡ることでなんとなく分かる。

いつか好きになれるのかはわからない。でも、それは向こうにしたってそうである。厄介な奴に成長した「クズ」だと思っているかもしれない。もういっそ、完全に愛想を尽かし切り、好き勝手生きやがれ、もう一切迷惑をかけるな、と明確な決別を言葉にして投げつけられたほうが楽だ。実際のところ、兄弟の中で一番「クズ」なのは間違いないから面倒な奴だとは思っていることだろう。

だけど、それでもいいと思ってしまっている自分がいる。家族は理解者だ、家族はいつだって味方だ、そんな幻想に希望を抱くのはもうやめることにした。
だからこそ、家族に理解されなくても良い、家族が味方でなくても問題ない、そういう生き方を選択する以上、掴み取らなければいけないものがある。それが原動力の一つであることは認めざるを得ない。

「クズ」なりに立派になる。

たまたま今赤坂豊川稲荷の前を通ったら「感謝をすれば、幸福は訪れる」って書いてあったから、感謝は忘れないでいようとは思う。