まんどりるンパッパ

嘘をつかなくても生きられる生活を目指して。

目指す表現

最近読んでいる本、太宰治「虚構の彷徨 / ダス・ゲマイネ」。
私小説的な小説でありながら、日記のようでもあり、なにより太宰の言語感覚の凄まじさに圧倒される。普段本を読んでいるとき、琴線に触れた文章を都度スマホにメモするようにしているのだが、今日初めて行ったカレー屋で料理が届くのを待っているわずかな時間の中でさえ以下のような文たちをメモに加えずにはいられなかった。

  • 眼の前の海の形容詞を、油汗流して捜査していた
  • 縄目の恥辱
  • 7年の風雨が見舞っている。
  • 微笑ましきことには、私はその日、健康でさえあったのだ。かすかに空腹を感じたのである。
  • それ以上の仕合わせを考案しているいとまがなかった

 

私が「表現者」として敬愛するダウンタウン松本人志。彼と一緒に「ごっつええ感じ」の制作をしていた某氏の話を聴く機会があった。その際に松本人志の凄さの正体は「皆が心の中にあるけど自分で気づいていないことを気づかせる合意の位置」であると某氏は言った。青天の霹靂で、至極納得した。
そして、それは太宰の文章にも通底するものであるということを感覚的に理解している。私が目指す表現の形である。